落ち着きを取り戻した曇りの水曜日、今日は淡々と仕事ややることを進められそう。
そう感じたのは、わたしだけではないと思います。
わたしのクライアントさんには、ご経営者の方だけでなく、専門職の方が多くいらっしゃいます。国家資格を保持しており、どこか団体に属していても、独立性の高い方々です。
わたしはこの専門職の方々を、心から尊敬しています。「社会を円滑に」、というテーマの方々と、「世代をまたがり、多くの人の役に立ちたい」という方々に、職種で別れているかな、という感じがいたします。
20代の頃、この専門職に憧れ、ある資格取得を目指そうと考えた時期があります。
今思えばどうしてそんな、自分の個性とかけ離れたことを、一瞬でも考えたのか…
当時の日本は深刻な不況で、スマートフォンはまだ世にはなく、「働き方改革」なんて粋な言葉もなく、働きたい気持ちでいっぱいの、でも大したキャリアはない、出産したばかりの自分が社会に返り咲くには、それしかない、そう思ったのでしょう。
専門職の夫とすやすや眠る赤ちゃんの娘と3人、週末横浜の大きな書店で、資格取得の本や湘南暮らしの本を、あーでもない、こーでもない、と話しながら選んだのは、今となってはいい思い出です。
でも、当時のわたしのような悔しい思いや回り道を、誰にも味わって欲しくありません。絶対に。「自分で自分を知ること」、これ以上の就活への道は、他にはないのです。
だから今の仕事を、立ち上げました。
そして何ら資格を持たないわたしを信じて、お仕事を依頼して下さる専門職の皆さまに、心から感謝していますし、本当に、尊敬しております。
うたっているわけではないのに、どうしてこうも専門職の方ばかり、来て下さるのだろう。開業してからある日ふと、疑問に思ったのです。
そしてそれは、「その方々が、第一線で活躍する専門職の皆さんが、わたしに仕事を依頼して下さることで、10年以上前のわたしの傷を、悔しい思いを、癒して下さったのだ」。と気付いたとき、あっけにとられ、涙が止まりませんでした。
現在の日本の義務教育は、学校へ行けない子どもたちが多数いる国に比べれば、素晴らしいシステムでしょう。
ただ子どもたちには、「なんでもとりあえずできる」平均的な人、を目指すのではなく、「自分はこれが好きで、これが苦手で、これは得意なんだ」と自身を知る手掛かりに、して欲しい。そこで劣等感を感じる必要性は、全くないのだから。
そしてそこに、変な意味で、人格を否定するような目線で見てくる人を、自分の世界に入れないこと。成熟と年齢は、必ずしも比例しないのですから。
大切なのは、日本の教育でも、アメリカの教育でも、北欧の教育でもない。
あなた自身の個性と、それを理解し、その素晴らしさを社会と分かち合うことが、何よりも大切なのです。
まとまりのない文章になりましたが、夕方から降り出した雨が、今日も頑張ったあなたを労わる、優しい雫となりますように。
湘南the evening Star