暑さが少しだけ和らいだ(気がする)夕方、いかがお過ごしですか。「涼しくなったから、今からやる事を」という方も、少なくないのではないでしょうか。もちろん私も、その一人です。
本日は、承認欲求について。私は令和になったこの日本で今更、「収入が」「稼いでいないと発言権がない」「大きな組織に所属していれば偉い」など、そんな平成の置き土産の様な、時代錯誤な事は申しませんし考えもしません。そんなナンセンスなことを考えていたら、平成生まれにたちまち、化石扱いをされて相手にされなくなってしまうでしょう。
ジェンダーも個性も、「私自身が本日感じた事、私が関わる方やご依頼いただくお仕事に関する範囲での事」、その上で述べている見解で、「それがすべての人に当てはまる事ではない」、という事を、どうか前提で、読んでいだだきたいのです。
どうしてここまでしつこく念を押すのか?それは私たちの世代が、活字に対してものすごく権威がある、と教えこまれ、ときには「?」と思う新聞記事やテレビニュースに、疑いを持ち自由に意見を交換する公の場と機会が、大変少なかったからです。
ちなみに我々の親の世代(団塊世代)はその疑問を、全共闘運動(学生運動)というかたちで、表現しました。そしてそれ自体はその後タブーと彼ら多数によって見なされ、その子どもである私たち、いわゆる「団塊ベビー世代」に対する満足のいく説明は、少なかったように思えます。
個人の意見は、その人個人による、ひとつの意見に過ぎない。大切なのはいつの時代でも、「自分の考え、好み、スタイル」を、自分の中ではっきりと、させておく事なのです。
前置きが長くなりました。本日、沢山の活躍する女性と意見を交わした上でつくづく感じたのは、「女性は、自分を認めて欲しい」と感じる生き物だ、ということです。
その昔、男たちが狩りに行っている間、和を大切にしつつ、ありとあらゆる事をこなしていた女性は、周囲とコミュニケーションを取りながら、互いの得意分野を褒めたたえ、少しずつ役割分担をしてきたのではないか、と、考察するのです。例えば木の実拾いの達人は目が良い〇〇、子どもの相手が得意なのは△△、と。
それは長い時間、女性だけでコミュニティを守る上で大切な術だったのではないかと思います。
逆に男性は、やはり「利益を追求することで、自信を得られる生き物」だと感じます。今まで折角才能がおありで固定のファンにも支えられているのに、どこか自虐的で結果的にファンや顧客が離れてしまう、「素晴らしいと感じていたのに何だ、その程度だったのか」と思われてしまう男性アーティストや自営業の方を、目にしたことがあります。
どうして、才能も生み出すものも素晴らしいのに、そんな事態を自ら招くのか。それは未熟な男性性による「いじけ」です。
自分よりも「お金持ちだ」と(勝手に)感じる人が自分の何かを買ってくれない(購入してくれないという物理的なもの、認めてくれないという心理的なもの双方)と、自分の中に潜む承認欲求が満たされず、結果として顧客を攻撃する、という常識的には考えられない行動に繋がります。
ちなみに、事務所に所属していたり、ビジネスパートナー、従業員の方がそれを補って下さっている方は、問題ありません。
何故ならそういった方は、客観的に自分に欠けているものを熟知し、それを補ってもらう、助けてもらうという形をとっているからです。それすら、「才能」の一部です。
そしてそこまで踏み切れない人は、満たされない・補って貰えない不足分を、周囲や事もあろうに顧客に、求めたりします。
それでまわっているのなら、それはそれで構わないのでしょう。でもそれでは「自分に見えているビジョン=満足している自分、本来あるべき自分、つまりかっこいい自分」には、到底たどりつけません。
一緒に数字を追って「これが本来の自分だ」と、誇りたいのなら、自分で自分に満足がしたいのなら。いつでもお待ちしております。
湘南the evening Star